6月25日 近況報告会 釧路経済いたって順調いよいよ拡大へ、


同日開催の総会終了後、懇親会の場で、釧路日中友好協会参加者による近況報会を行った。この事業は当協会の好例の事業だ。

懇親会 開会挨拶

釧路日中友好協会 副会長 大西雅之

お忙しい中、本日の参加ありがとうございます。

香港のシンクタンクによると、2020年東京オリンピック開催の際の中国からの観光客数は1140万人と予想されています。

日本政府は、釧路、金沢、長崎の3市を「観光立国ショーケース」として指定した。

同時に、釧路空港を民営化し、10,421人(2,013年)の国際線利用者数を、三菱UFJリサーチコンサルティング政策研究事業本部の推計で、23,968(2,020年)と推計しつつ、今後は年10万人の国際線利用者数を目標としつつ、釧路に来訪する外国人観光客数も2,020年には目標約30万人としたわけでございます。

昨年 釧路日中友好協会設立5周年事業に、中国大使館 劉亜軍公使を招聘して講演を行った。

この結果、2,013年17,418人の中国人観光客数は2,014年37,217人と実に213.7%と急成長した。

つまるところ、釧路の観光市場はバラ色のマーケットであると理解してよろしいかと思います。

そのために自然を保護し、ハード、ソフト両面の国際化を推進し、そのためにも釧路日中友好協会の役割はいっそ重要かと思っております。

釧路日中友好協会発足以後、中国から次々と要人が釧路を視察され、とくに程永華 駐日大使による釧路経済への支持と、とくに釧路コールマインの国際研修事業の支持には誠にうれしく思いました。

釧路は、東日本唯一の「観光立国ショーケース」の都市として、さらに国際港湾物流のハブ拠点である国際バルク戦略港湾のある都市として、世界各国と手をとって都市の発展成長を実現すべく当協会の活動はまさに重要なものと思っています。

釧路日中友好協会 筆頭理事 中島太郎 代理 村上一彦 釧路コールマイン株式会社常務取締役

釧路コールマイン発足後はじめて、駐日大使 程永華氏が当社を視察し、釧路での炭坑研修事業の必要性について発言をいただけたことにとても感銘を受けています。

このことに限定しても釧路日中友好協会の活動に感謝しています。

釧路日中友好協会の活動は釧路経済の成長を国際化で実現するための活動であると言えます。

産業の国際化、観光の国際化、そして教育の国際化であります。

釧路日中友好協会のますますの活動を筆頭理事として支持して参りたいと思っています。


近況報告

1.一般社団法人 当社団は、北海道で唯一 巨大メガソーラーを二カ所立地実現し、第一号の釧路音別太陽光発電所の竣工引き渡しを昨年7月に行い、本年 北海道鵡川町で第二号事業として約70億円の事業工事を開始した。資金スポンサーは国際エネルギー資本のタイ石炭開発公社である。

タイ石炭開発公社は釧路への事業進出も行う予定である。

日本の明るい未来を構築するために、自然エネルギーによる大電力地帯を釧路で実現するのが当社団の目標である。

2.私の2人の娘がよく中国に出張している。日中間の経済関係はいまやきわめて密接であり好き嫌いに関わらず関係を絶つことは両国にマイナスとなると思っている。

3.当社は今年になって対中国貿易を再開した。中国現地の工場では生産過剰感があり、価格も安い。

さらに円高の影響もあって当社の業績はきわめてよい。

さらに釧路経済のプラス成長が耐久消費財の購入拡大に寄与しており当社の売上も順調だ。

4.私は台湾からの留学生である。涼しく乾燥し町並みも美しく経済発展が著しい釧路が大好きである。

大学を卒業後、釧路で観光分野で起業したい。ぜひとも応援して欲しい。

5.私は大学一年生である。卒業後は空港のグランドスタッフになりたい。釧路空港に就職したいのでよろしく。

6.役場の窓口を担当している。近年、外国人の問い合わせが増えている。道東地域の国際化を実感している。

7.釧路空港で程永華 大使のお迎えをした。この体験は私にはいい思い出である。

中国人にとって、北海道=阿寒 というイメージだという言葉に衝撃を受けた。

確かに中国の都市は、東京よりも大都会だ。

大都会の人が都会を離れるならば自然の静かな場所に身を起きたいというのはしごく当然である。

まさに釧路は、その点で日本でもっとも最適な都市であると思った。

8.私は、今回 釧路に現地法人を設立する目的もあって釧路に来た。北京の財界では、日本の投資先は実は釧路が有名であるのです。

国際港湾、国際空港があり土地も安く、景観も美しい。

釧路経済の発展に微力ながら貢献したい。

9.中国から大学進学が縁で釧路に住んで10年になる。この街は海外からの観光客が多いのに定住外国人はまだまだ少ない。

医療の通訳など、釧路の国際化に今後も貢献したい。

10.私は釧路で専門学校を経営している。釧路経済の好調さは私の学校経営面では学生募集に苦慮する結果を及ぼしている。就職する学生が多いからである。現在 外国人留学生を介護系学科にどんどん受け入れたいと思っている。

このことが釧路の少子高齢化の人員不足対策に繋がると思う。

現在、ベトナムの乳幼児教育高度化事業を釧路で行っており順調である。

11.中国山東省出身です。日本山口の大学を卒業し釧路で就職したいと思っている。

12.今年 吉林大学在日同窓会の会長に選ばれた。現在全国で商会を組織している。釧路経済の発展にさまざまに貢献できると思う。

13.私は現在 天津外国語大学の客員教授を仰せつかっている。日中友好協会は財務体質がきわめて脆弱であり、私の残された使命は協会の財務体質の改善であると思っている。

14.イランカラプテ(アイヌ語のこんにちわ)、現在 阿寒には中国からのVIPがどんどん来てる。冬の阿寒スキー場でたいした練習もせずにリフトに乗っていきなり滑るということをやってるわけです。面白いですね。

15本日 議長お疲れさまです。実は私は中国に行ったことがない。程永華 駐日大使にそのことを告げたら驚かられた。当協会で訪中団を企画し実行したい。

16.釧路の国際コンテナ航路はコンテナ貨物の取り扱い量が急成長している。昨年で既に20,000TEUを超え前年比で200%を超えた。今年はさらに倍増以上に増えそうな勢いである。

対中国から釧路への輸入品は、飼料、肥料、機械、鉱山機械、家具である。

対中国への輸出は、クラフト製品、紙製品、新聞用紙、魚が多い。

天津新港の爆発事故の影響はほとんどない。釧路港は東日本最大の国際貿易港に成長すると思われる。

17.大学生として釧路元町青年団など釧路でボランティア活動を行っている。来月アプリケーション学会に出席する。日中友好協会の公費留学生に来年は是非とも挑戦したい。

18.釧路日中友好協会の事務局として4年間お世話になった。大学4年で釧路が好きで釧路の会社に就職し東京で仕事をする。大学生活を釧路で過ごせたことにとてもラッキーであったと思っている。

19.釧路の大学に進学して大人との関わりが増えてとても勉強になる。祖父が最近死んで死に際に祖父から聞いた話で、僕は以下の3点を大事に生きようと思う。1.いろんな人に関われる人になれ。2.クリエイティブな仕事をしろ。3.死ぬときは自分で自分を誇れる自分として生きたい。このような機会をつくってくれた釧路日中友好協会に感謝している。

20.以前ヨルダンで観光雑誌の編集を行っていた。観光産業は平和産業である。ヨルダン国王の言葉に「ヨルダンにとって観光業はオイルである。」というのがある。

釧路は豊富な天然資源に製造業が連携し発展してきたが、今後ますます観光産業も発展する。釧路の発展が日本の平和に繋がると思っている。ISISで人質にある安田純平は私の大学(一橋大学)の先輩であり一緒に酒を飲んだ仲間である。それだけになんとか救い出したい。そういうやりきれない思いがある。

21.枯れ木も山の賑わいと言う言葉がある。私の役割は後輩である上見事務局長の想いに協力して参加することに意義があると思っている。

22.今回は伊東良孝農林副大臣に代わって出席させていただけました。総会にはじめて参加しまして、釧路の地元大学生の活動を拝見し釧路の教育環境の国際化に深く感銘しました。

釧路の経済発展には、釧路の子供達の国際情操教育が大事です。

釧路の高等教育の整備、振興に、私は妻として夫である伊東代議士に強く釧路の高等教育の整備振興についてお話したいとぞんじます。

23.私は釧路の大学を卒業後、釧路の高等技術専門学校で専門員として働いております。釧路でこのような楽しい国際交流会に参加させていただきましてとても楽しいと感想を持っています。

24.私は釧路の大学5年生で現在就活中です。1年間韓国の大学に留学していました。釧路の企業につとめて釧路経済の発展に貢献したいです。

閉会の挨拶

釧路日中友好協会 理事 松並邦拓

釧路日中友好協会の活動は私はいつも楽しいと思っています。

といいますのも、釧路日中友好協会の会員の皆様の企業活動も盛んになり、釧路経済の好調さ、さらには釧路経済の国際化を実感できるからです。

地方の企業が地方でもやもやとではなく、グローバルな視野で経済活動し、同時に釧路がその立地優位性をもってかつての衰退から経済成長にV字回復し今では経済成長まっただ中にあることをまさに実感できるからです。

元気をもらえる総会であります。

本日の皆様のご参加に一本締めで閉会したいと思います。

一本締め。

以上。





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