4月12日 道日中 中山稜参拝


北海道日中友好協会特別訪問団は南京郊外にある中国の国父、孫文氏のお墓である中山稜を訪問し参拝した。

墓道の階段は392段(当時の中華民国の人口である3億9千200万人にちなむとされる)、高低差は73mあり自らの足で上るほかない。


稜門には「天下為公」(天下は公の為)と書かれている。


中国国民党葬 総理 孫先生 中華民国18年6月1日 孫文は、中国共産党にとっても国父である。


孫文の三民主義「民族 民生 民権」と刻まれている。


 祭壇の天井に描かれた巨大な青天白日旗(国民党旗)

孫文~初代 中華民国臨時大統領
犬養毅、梅屋庄吉(日活創業者)、岩崎久弥(三菱財閥三代目総帥)、松井石根(陸軍大将 A級戦犯「南京事件」により極東軍事裁判で起訴され死刑)をはじめ日本の各界が様々なかたちで孫文を支援した。
梅屋庄吉は現在の価値にして1兆円を孫文に対して、辛亥革命を成功に導くために寄付しつづけた。
1912年1月1日 孫文はアジアで最初の共和国である中華民国臨時政府を樹立した。
1929年 辛亥革命の記録を孫文の功績を残すことを目的に梅屋庄吉は4体の孫文の銅像を中国に寄贈した。
文化大革命時に破壊されることを懸念した周恩来は命令を発し銅像を深夜のうちに隠して保全した。この4体の孫文像は南京、広州、黄埔、マカオに記念として遺されている。

日本と中国は一言では言い表せないほど複雑に絡みあった隣国関係である。

2011年 梅屋庄吉を記念し上海市紹興公園(梅屋庄吉の上海の旧邸宅跡近く)に銅像が建てられた。(長崎県寄付、長崎県には中国政府の寄付で孫文の銅像が贈られる。)

孫文は廬暮貞と離婚後、日本人である大月薫と結婚し、その後宋家(浙江財閥)の三姉妹の次女 宋慶齢(文化大革命時に迫害を受けるが1975年1月から1981年5月15日まで事実上の中華人民共和国の国家元首を担い、鄧小平の改革開放政策に協力。1981年5月16日中華人民共和国国家名誉主席に就任)と三回目の結婚(日本の梅屋庄吉宅で結婚式)をした。
長女  宋靄齢 は孔祥熙(アジアシェル石油社長 中国銀行総裁 中華民国財政部長(日本の大臣にあたる))の妻となる。
三女  宋美齢 は蒋介石(中華民国総統)の妻となる。
宋家の三姉妹を「一人は金と、一人は権力と、一人は国家と結婚した」と現代中国では言われている。

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