4月14日 道日中 洛陽 白馬寺 龍門石窟 視察


洛陽は歴代王朝の都が設置された都市で、郊外は古墳が多く、あまりの多さに「お墓ばかりで牛の寝そべる場所もない。」と言われる。

白馬寺 中国最古の仏教寺院。

迦葉摩騰と竺法蘭の二人の僧が、インドから白馬に乗り『四十二章経』という経典を携えて、都の洛陽を訪れという説話に因んで、白馬寺と名づけられた。

中国の女帝 則天武后(現在は武則天と称する)の時代に栄華を極めた。

中華民国時代に大修復を行っている。

文化大革命の際に紅衛兵に破壊されそうになるが、周恩来の命令でかろうじて破壊を免れた。


空海が遣唐使として長安まで移動する際に滞在したのを記念して中日友好協会で銅像を建てた。 2012年の大規模な反日デモの際にはプレートを破壊されるが僧侶達が夜通し番をして銅像を守りきった。


白馬寺建立時の証拠でもある作業員の名前が甲骨文字で刻まれている。


境内を移動するお坊さんたち。


龍門石窟 世界遺産 全長一キロに渡って河川の岩石崖に大小様々な仏像が彫られている。仏教の熱心な信者として保護した則天武后が都の入り口に仏教の中心の都であるということを誇示する目的で大規模に彫られたという伝説が残っている。 洛陽の都の入り口にあたることから、龍の門 龍門と呼ばれている。

文化大革命の際に紅衛兵に破壊されそうになるが、洛陽の大学の先生が徒党を組んで組織的に野営し保全した。


天然石に牡丹模様があるので牡丹石という。牡丹は中国の国の花である。日本は桜と菊の2つが国の花だ。


龍門石窟のある河(伊河)をはさんで白居易の晩年暮した香山寺がある。

文化大革命~1966年5月から1976年6月まで続いた毛沢東によって発動された内乱。全国で青少年による紅衛兵が組織され、毛沢東の個人崇拝と中国文化の否定と破壊、さらに殺戮と内乱が行われた。
周恩来とそれに対立する文化大革命推進派の四人組(江青(毛沢東の妻)、張春橋、姚文元、王洪文)との激しい対立後、周恩来が実権を握り文化大革命を終了させた。

鄧小平の下で、中国共産党は「関与建国以来若干歴史問題的決議」(1981年6月27日中国共産党第11届中央委員会第六次全体会議通guo)をまとめあげた。その内容は「毛沢東が誤って発動し、反革命集団に利用され、党、国家や各民族人民に重大な災難をもたらした内乱である。」と文化大革命を全面否定した。

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