9月10日 釧路日中訪中団「頤和園」を視察



乾隆帝が築いたロイヤルガーデンで総面積290ヘクタール。公園内の山も湖も全て人工である。

つまり湖を作る際に出た土で山を作ったわけだ。



ちなみに日本最大の製紙工場である王子マテリア釧路工場の総面積で211ヘクタール。

釧路市最大の太陽光発電所である釧路音別太陽光発電所の総面積で119ヘクタール。



釧路の大規模プラントもなかなかのものだ。



全長約1キロ前後の長廊~日差しを避ける目的で西太后が建造させたたそうだ。


長廊の一番東の門


西太后の命令で清国北洋艦隊の資金を流用し建設した玉で出来た船。
資金に困った清国北洋艦隊は、日本との海戦で敗北する。


ここでは宮廷料理が再現されてお食事ができる。 


庭園内には「寿」という漢字が多く使われている。

その理由は西太后が「寿」を好んだためである。

中国の建造物は、日本と異なりただただ巨大だ。





さて色にも政治にも関心を示さなかったが、巨大庭園づくりに邁進し、清国時代最高の好景気時代に皇帝であった乾隆帝(1735-1796)にはじつに興味深い話がある。

1793年に大英帝国のマカートニー全権大使が乾隆帝との謁見の際に蒸気機関車の模型を献上し実際に走行させるも乾隆帝は全く興味を示さず木箱に戻してそのまま倉庫にしまったと言われている。

つまり乾隆帝は蒸気機関がもたらす新交通時代に全く創造がなかったとも言えるわけだ。

この話題をもって、中国国民は中国の近代化の遅れ、中国の悲劇は「乾隆帝は蒸気機関に関心なし」に始まったとも言われているわけだ。

つまり人はあまりに恵まれた条件下にあると、気力と自ら機会を失うという典型的なエピソードなわけだ。

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